H&Mの人種差別パーカー問題とThe Weekndのコメントに思うこと。

最近H&Mが「Coolest Monkey in the Jungle」(ジャングルで一番カッコイイ猿)と書かれたパーカーを黒人の男の子に着せて、ホームページで掲載したことが問題になりました。

(写真はH&Mより)

「Coolest Monkey in the Jungle」は差別?

そんなH&Mに対して、カナダ出身でエチオピア(東アフリカ)系の歌手The WeekndがTwitterで

「今朝起きてこの写真を見て、ショックを受けたし恥ずかしく思った。本当に腹が立ったし、もうH&Mとは仕事をしない」

とつぶやきました。

 

 

私はこの一連の流れを見て、むしろ差別しているのはThe Weekndの方では?と感じました。

 

「ジャングル」と「猿」という単語は本来差別的な意味を持たないはずですし、それを黒人の男の子が着ているからと言ってその二つの言葉を「黒人」と結びつけて

「差別だ!」

と騒ぐ方が差別しているような気がします。

 

だって

「H&Mが『ジャングルで一番カッコいい猿』って書かかれた服を黒人に着せていて、それを見て俺はH&Mが「黒人がプリミティブで猿みたいな存在だ」って主張してるんだと思った

って言ってるようなものじゃないですか。

これこそがよっぽど差別じゃないでしょうか。H&Mはそんなこと商品の説明欄に書いていないのに。

 

「猿」「豚」みたいな、差別と関係なしに例えられてあまり嬉しくない動物がいるのも確かなので、そういう動物を使った点はH&Mの落ち度かな、とも思いますが……。

 

しかし例えば「ねずみちゃん」なんて呼びかけられたら私はあまり良い気がしませんが、ドイツでは普通に夫婦が相手に向かって「ねずみちゃん」と呼びかけていたりします。

多分国によってそのあたりは色々なのでそもそも動物に例えることを避けた方が無難かもしれませんね。

 

「fastest unicorn in the sky」(空で一番速いユニコーン)とかにしておけば誰が着ても差別だと騒がれなかったかも。。。

 

The Weekndの言葉も

「”猿”なんて書かれたパーカーを着たい人間がいるのか!?ダサいH&Mとは仕事しないぜ」

だったら彼がそもそも差別意識を持ってる、とは思いませんでした。

 

ダウンタウン、浜ちゃんの黒塗り問題

ちょっと前にダウンタウンの浜ちゃんが『絶対に笑ってはいけない』でエディ・マーフィに変装したことがBBCをはじめとする海外メディアで取り上げられ

「差別だ」

と騒がれていましたが、これにも違和感がありました。

 

動画を観ましたが、番組内で浜田さんがポリスをするにあたって『ビバリーヒルズコップ』のエディー・マーフィーに扮しているだけで、黒人を馬鹿にするような表現は特に見当たりません

 

「肌を黒く塗ることを差別だとすること」こそが差別のように思えて仕方ありません。

他の人種に似せて肌を黒く塗るのが差別なら、日本人が舞台で『ロミオとジュリエット』を演じるときに髪を金髪にすることに文句を言わないのはどうして?

 

美白を頑張ってる日本人を見て

「やつらは白人に憧れてる」

とか傲慢なことを言うのに

「黒塗り=黒人を馬鹿にしてる」

なんて意味が分かりません。

 

「黒塗り=黒人への憧れ」

と受け取らないのはそもそも黒人を下に見ているからそういう発想になるのではないのでしょうか?もちろん文脈の問題もあるかもしれませんが、渡辺直美さんがブロンドにしてビヨンセの真似をしているのを「差別だ」と言う人がいないのはどうしてでしょうか?

大体白人も一生懸命日焼けサロンに通って肌を真っ赤にしてるじゃないか……。

 

「差別されている人がいる」と広めること

小学生のとき、友達と歩いていると急に友達が

「誰にも言わないで欲しいんだけど」

と前置きして

「私のお父さんXX人なんだ」

と私に言ったことがありました。

 

子どもだったので、それがなぜ秘密なのか理解できず「へぇ、そうなんだ」という感じでした。

 

それから中学になって道徳の時間に、XX人だからという理由で彼女の両親から結婚を許してもらえなかった人の話を読みました。

 

その時にようやくなんとなく

「ああ、XX人って日本では差別される人種なんだ」

と思いました。

だからと言って差別したりすることはありませんでしたが、かと言ってそれをきっかけにXX人に対してポジティブな印象を持つこともありませんでした。

 

高校のとき『人権の時間』というものがあって、年に一度くらい校外から人が来て講演をするという時間がありました。(一時間くらいパイプ椅子に座って話を聞かなきゃいけないし、感想文の提出もあるので生徒からはかなり不人気なイベント?だった)

 

とある時『人権の時間』にやってきた人は『人権の時間』と言いつつ「日本でいかにXX人が差別されているか」についてのみ話していました。

 

話の内容はうろ覚えですが彼の主張は

・XX人は日本で差別されている

・だから日本名を名乗らなければならない

・自国の民族衣装も着られない

・差別やめてください

といった感じだったように記憶しています。

 

その人の名前は一応日本名でしたが、XX系の人に多い名字で、しかし彼は自身の出自について全く何も言いませんでした。(が、そもそも純日本人でXX人差別撤廃のためにわざわざ高校に講演しに来る人がいると思えないので、普通に考えてXX人なのだろうと思った)

 

講演会が終わった後、

「『人権の時間』じゃなくて『XX人差別をやめようの時間』じゃない?人権関係ないし」

「大体、XX人差別とか見たことないし……」

「っていうか『自国の民族衣装着れない』とかさ、別に着てる人いても何も思わないから勝手に着れば?って感じだよね」

というような意見が大半でした。

 

私も正直、差別してるのなんて祖父母の世代だし、高校に来て「差別しないでください」なんて逆効果じゃないのか?と思いました。(子どもっていじめられてる人がいたらなんとなく下に見てしまう傾向があるので。)

 

堂々と本名を名乗らず、自国の民族衣装を着ることに引け目を勝手に感じて、自分自身がそもそも出身国を差別しているのに

「日本人に差別されてる!」

なんて筋が通ってないと思います。

差別してるのはあなた自身なのでは?と思う。

 

何も悪いことしてないのなら堂々としてたらいいと思うし、今どき「XX人だから」なんて理由で思って差別する人は少数派だと思うし、そもそも人種を理由に差別するような人と仲良くしたいの?と思うし。

 

「差別だ」

と言うことのメリットが分かりません。

意識的に差別している人(「あの人はXX人だから結婚しちゃだめ」とか言う人)は「差別するな」と言っても「そうだな、やめよう」とは思わないでしょうし。

 

「差別だ」というから差別がなくならない

「差別されている」「差別している」「差別だ」

と言う人がいるから

「ああ、あの民族は差別されてるんだ」

と思う人がいます。

差別の連鎖がとまらないのはこれが理由の1つではないのでしょうか?

 

誰も何も言わなければ、子どもはそもそも「差別される人がいること」を知らずに育つでしょう。そういう子どもたちは人種や国籍などを理由に他の人を馬鹿にしたりしないだろうし(そもそもそれが馬鹿にする理由になると知らないのだから)、その子たちが大きくなっても子どもに「差別はやめよう」なんてことを言わないだろうから、その子どもも差別を知らずに育つだろうし……。

(写真はH&Mより)

 

「Coolest Monkey in the Jungle」って書かれた服を黒人も白人も何人でもみんな普通に着てて(まあそもそもダサいから着る人少なそうだけれど)、それについて誰も何も思わないことこそ本当に差別がない状況なのではないのでしょうか? 

 

「差別」という概念がそもそも無い世界になればいいな、と思います。